2015年10月8日/2018年11月1日/2020年3月20日(神代団地)訪問
特記なき写真は2015年訪問時撮影
まちにやさしく溶け込み、"希望"をひらく昭和の新興住宅地
つつじヶ丘は、東京都調布市にある京王線の駅。新宿から12kmほどに位置し、急行電車で20分くらい。写真の北口には小さいながらも駅ビル「京王リトナードつつじヶ丘」がある。
北口はこじんまりとしたロータリー。ロータリー内に駐車場が設けられているスタイルはこの近辺では珍しい気がする。
書原は1967年に南阿佐ヶ谷で創業した書店。最盛期は数店舗を都内に展開したが気が付けば阿佐ヶ谷の店舗もなくなり、書原の名称で営業する店舗はつつじヶ丘店のみになった。
(2018年撮影)
ロータリー西側へ
(2018年撮影)
西側はおだやかな商店街が続く。
(2018年撮影)
「ぎょうざの満洲」ポイント1点(埼玉発祥の餃子チェーンとして知られるが近年京王沿線への出店が増えている)。
一方ロータリー東側にあるライフつつじヶ丘店。線路際の目立つ存在のため、京王線を利用したことある人間にとっては印象深い建物でもあったが、現在は老朽化のため閉店し、建物ごと解体されてしまった。
「つつじヶ丘」という地名は当然自然発生的な地名ではなく、人為的に名付けられたもの。かつてこの地域は「金子」と呼ばれていた。
京王電鉄(当時は京王帝都電鉄)は、1957年に京王初となる当地での宅地分譲開発を開始し、その名前が「京王つつじヶ丘住宅地」であった。もともと「金子駅」であった駅も同年、「つつじヶ丘駅」に改称されている。
京王が手掛けた宅地分譲事業というと聖蹟桜ヶ丘の「京王桜ヶ丘分譲地」や高尾線のめじろ台などが知られるが、そのルーツは「つつじヶ丘」にあるというわけだ。
実は分譲地の入口が市境になっている。つつじヶ丘駅は調布市にあり、駅改称に合わせて駅周辺の地名も「西つつじヶ丘」「東つつじヶ丘」などに変更されたが、肝心の分譲地は「三鷹市中原」という住所になるのが面白い。
今や周囲の住宅地に溶け込み、「一体的な開発による分譲地」という雰囲気は薄い。「中原京王通り」という通り名だけが歴史を伝えている。
分譲初期からありそうな住宅を発見。
この突き当りが分譲地の終点となる。
こんな細い住宅街路にバスベイが設置されている恐ろしさを感じてほしい。
出、出た~
つつじヶ丘駅に戻ってきました。今度は南側へ
北口と違い、巨大な駐輪場と簡素なバス乗り場以外にめだつものがない南口。バスは狛江・成城学園方面へ走っている。
てくてく5~6分歩いていくと。
(以降の写真はすべて2020年撮影)
突如四角い団地が広がる一角に躍り出る。
神代団地は1965年に分譲を開始した公団住宅。
この時代の団地といえば、人も建物も老朽化が進み、物静かでさびれた印象を持つものだ。
だがこの団地には意外な光景が広がっている。
それは「若い人々」が多い。ということだ。子供も多いし、子供連れも、若い夫婦も多い。
団地センターにはその界隈では有名なカフェ「手紙舎」もある。
coffeeの文字は見逃さないのだ。
店内にも多くの子供たちの賑やかな遊び声が聞こえてくる。駅から10分近く歩き、団地センター内という分かりにくい立地にありながらも、神代団地の手紙舎には若い人々が続々と訪れる。
神代団地には新しい風が吹いている。そんなわくわくを感じる場所だ。
あれこれ言われがちな「新興」の住宅地も、長い時のなかで、まちに溶け込んで、その土地なりの未来を描き出す。すっかり周囲に溶け込んだ「京王つつじヶ丘住宅地」も、図らずして若い人々が集まる「神代団地」も。つつじヶ丘は、そんな穏やかな"希望"を感じることができるまちだ。
また明日。