2024年6月9日訪問
長いトンネルの先にある、山並みと空の広さが心地よい城下町

JR山陰本線(嵯峨野線)で30分弱。長いトンネルを抜けると、いままでの雑踏や混沌が信じられないくらい空が広い。そして山が近い。観光と歴史、悪いことではないけれど、消費の方向性を定められているような、まるでテーマパークに迷い込んだような疲労もある。
そんな疲労を忘れさせてくれる「日常感」。京都府亀岡市の第一印象である。



丹波国の中心都市であり、近世以降は城下町としてあった亀岡。確かな歴史があるまちであることは間違いないが、その一方で高度経済成長期以降、京都や大阪の衛星都市として急速な発展を遂げた一面がある。歴史をおざなりにせず、でも歴史だけにしがみつかない。亀岡の雰囲気はこういったところから来ているように思う。

駅前の目抜き通りを挟んで東側にはイオン亀岡店がある。1994年にマイカル(当時はニチイ)により亀岡サティとして開業した店舗。実はマイカルが2001年に民事再生法申請をし経営破綻した際に社長職にあった四方修は亀岡の出身である。建物は立派だが店内は最小限の手入れでマイカル色が色濃い。薄暗さもあり今後の先行きには不安がある。

東側のイオン亀岡店と対を成すように、目抜き通りの西側には2022年まで西友亀岡店があった。こちらも総合スーパー業態であり、人口8万人にして駅前にGMS2店舗(と郊外にアルプラザもある)とは若干オーバースペックな気もするが、衛星都市として急成長した亀岡市民の旺盛な購買需要を下支えしてきたのであろう。現在は解体されマンションが建設中。

これは戦国時代に丹波亀山城を開いた明智光秀と国際交流の様子。
亀山…?と思われたかもしれないが、実はこのまち、明治期まで「亀山」を名乗っていた。しかし三重の亀山と混同されるとして「亀岡」へと改称された歴史がある。

亀岡は盆地に形成された城下町であるが、その盆地の東端(市街地から見ると北端ともいえる)は断層崖になっており、ストンと山並みが盆地へと落ち込んでいる。そのせいか亀岡では標高はさして高くない山の存在感があり、非常に近く大きく感じられるのが印象的だ。亀岡の好きポイントです。
亀岡駅があるエリアは保津川の氾濫原になっており、下流域に余裕がない保津川ではしばしば増水による氾濫の被害を受けてきたようだ。近年でも2013年の集中豪雨で保津川が氾濫し、亀岡駅を中心に冠水の被害を受けている。


旧来の市街地は段丘の上部(駅の南側)に位置しており、北側の段丘崖に丹波亀山城が築かれた。亀岡は神道系新宗教である「大本」の本部があり、現在丹波亀山城の敷地は大本の所有地となっている(300円を払えば一般人の城跡見学は可能)。

段丘上部の旧市街地に入ってきた。


路線バスも狭隘な路地を抜けてゆく。


スーパーマツモトは京都・大阪府下に25店舗を展開する中堅食品スーパーで、亀岡が創業地であり、ここ中央店が本部所在地になっている。
「パワ~プライス」のPOPが目立つなど程々に価格訴求の様子で、個人的には地元のスーパー三和と雰囲気がダブる売場であった(つまり安心感がある)

さらに進むと国道9号との交点に「亀岡ショッピングセンター アミティ」がある。
核店舗が存在しない協同組合方式のショッピングセンターなのだが、食品売り場を中心とした館内はなかなかに賑わい、上質感もある。手書きのPOPに書かれているtipsを読んでいくのが楽しいタイプのスーパーである。来店のクルマもドシドシ入ってきており、亀岡駅前に総合スーパーのイオンがありつつも、賑わいは明らかにこちらのほうが上であった。大切に守っていきたい商業空間である。

国道9号線との交点「古世口」から京都方面を見る。見えづらいが山の中腹に戸建て住宅が集積しているのが確認できる。

再び旧市街に戻り、丹波亀山城跡を廻りこむように亀岡駅へと戻る。







そして最後に

駅の北側を眺めてから帰る。そういえば1枚も写真を撮らなかったのだが、保津川に近い駅北側は2020年にJ1京都サンガF.Cが本拠とする「サンガスタジアム by KYOCERA」が完成し、それに伴い駅北口も整備が進んだ。広い芝生広場を中心にホテルやマンションなどが立地し、氾濫のリスクを抱えながらも、さらなる土地利用の拡大が進んでいる。

駅北口前には近鉄不動産が分譲するマンションが販売中であった。後ろに見えるのが「サンガスタジアム」。駅周辺は南側の含め、旺盛な住宅需要が見て取れた。
ところで、京都から亀岡へ向かう際は、JRではなくぜひ京阪京都交通の路線バスを利用してみてほしい。京都駅烏丸口から七条通りを西へ、阪急京都線の桂駅を経由して国道9号線老ノ坂峠を越えていくルートなのだが、このルートはかつて、京阪京都交通が引き継いだ「京都交通(初代)」のドル箱路線たちが京都府北部方面へと走り抜けていったルートであった。

丹波エリアの広域輸送は、JR山陰本線(嵯峨野線)の電化や増発といった近代化が大きく遅れたこともあり、長らくの間京都交通(初代)のバスが担っていた。おそらく亀岡に関しても桂駅を経由するルートであることから、対大阪では有力な選択肢として利用されていたものと思われる。
しかしJR山陰本線(嵯峨野線)の近代化が進むと収益柱である広域輸送が大きく落ち込み、結果として京都交通(初代)は2004年に倒産することになるのだが、その頃の名残なのか、現在でも桂駅から老ノ坂峠を越え、亀岡市内で降車する利用客の姿が一定数見られた。そういった歴史的経緯を想いながらバスで老ノ坂峠を越えるのは非常に楽しい体験になると思う。
それを思うと亀岡はやはり非常に多くの変化にさらされてきたまちであると言えそうだ。そういった歴史がすべて積み重なっていまの亀岡の姿がある。至極当然のことなのかもしれないが、それを改めてちゃんと認識できるまちというのは実は多くないと思う。
京都という国際的な観光都市から守られるようにしてある亀岡。
地に足のついた「日常」が今日も平穏に流れている。