SHORAKUSHA

終わりがないフィルムのように続く、ある風景の備忘録

旅が終わる街、金沢八景と喫茶店のこと。

まちを歩いて写真を撮る趣味を本格的に始めてそろそろ10年になる。

「趣味」とは言っているがそこまで楽しいかと言われるとそうでもない。どちらかというと暇つぶしに近い。

ぼちぼち成果もでるので、なんだか立派な趣味のように錯覚するけれどもやはり自分にとっては暇つぶしの延長程度にしかすぎないように思えてしまう。そして錯覚するがゆえに暇つぶし程度のことを10年以上も続けてしまった。

このまま書き続けていると実は趣味らしい趣味がなかったのではないか?自分が分からない自分との闘い!みたいな誰も知りたがらない話が始まってしまうので、今日はあまり縁がないのに不思議と思い出が残るまち、横浜市金沢区金沢八景のことを少し話したい。

 

自分の写真の記録をさかのぼると、初めて金沢八景の景色を写真に収めたのは2012年のことだという。絶賛浪人中の時期である。そんな時期にそんなプラプラしてる場合か…と思ったが、一つ思い出したことがあった。おそらく横浜市立大学オープンキャンパスで訪れたのである。

雑然とした駅前を何気なく写した写真にとある喫茶店が写っている。

三本コーヒーショップ」である(見づらいが)。

 

当時、金沢八景の駅前では再開発の計画が進んでいた。そのことをわたしは当時から知っていた。だから当時は乗り物ばかり写真に収めていた自分でも駅前の写真を撮っておこうという気持ちになったのだが、その一方で開業から20年以上たっても仮設のままであった当時のシーサイドライン金沢八景駅のことを思って、本当にその計画が形になるとはとても思えなかったことを覚えている。

ただ、当時の金沢八景の駅前は当時の自分の目からしても、明らかに寂れていた。いや、どちらかというと「くたびれていた」というのが適切なような気がする。人はいて、ちゃんと消費活動も行われているのだが、なにかどの建物も薄汚れていて、時間が止まっているような感じがあった。再開発の計画が進まなくても、この景色はあまり長くは保たない気がした。そして、そんな時間が止まった建物の中でもひときわレトロな存在感を放っていたのが三本コーヒーショップなのであった。

 

こうした景色に対して、写真を撮るだけではなく、何か体験したという経験を残しておきたい。そう思ったとき、ふと「三本コーヒーショップ」に入ってみたらどうだろうかと思った。

 

しかし、わたしは入れなかった。勇気が足りなかったのだ。

当時はまだいまほど喫茶店やカフェに興味があるわけでもなく、ましては個人経営の店など入ったこともなかった。

 

改札に入り、そそくさと地元へ帰る直前、三本コーヒーショップを一瞥して、もう一瞬だけ迷った記憶がある。最後は、まぁそんなに急に再開発が進むか?という言い訳を想いながら、わたしは京急で横浜へと戻った。

この後、わたしは地味な浪人時代の末、高校時代の担任に「お前、一浪してここか…」と言われるような大学に入り、大学生になった。興味はいつの間にか乗り物から商業施設へと軸が移り、行ったことのない街に行き、見たことのないGMSをひたすら潰してゆく(経営的な意味ではない)日々を過ごしていた。

 

そして2016年。わたしは再び金沢八景駅に降り立った。

駅前は少し、様子が変わっていた。

建物はあまり変わらないが、工事用の柵が目立つ。建物こそ変わらない…しかしそのほとんどはもう営業していなかった。それは都市の変化が劇的に訪れようとしていることを示していた。

その刹那、ふと浪人時代に見かけた三本コーヒーショップのことを思い出した…いや、思い出さずとも改札を出ると正面にあるのである。

しかし、建物こそ残っていたが、三本コーヒーショップはその場所での営業を終えていた。閉店か?と少し焦ったが、シャッターに貼られた紙を眺め、近くに建てられた商店街の仮設店舗「せとこみち」の中に移転していることが分かった。

移転した先の三本コーヒーショップは、営業こそすれ、ある意味で当時の面影を完全に失った状態であった。

これにはかなり複雑な心境になったことを覚えている。再開発は仕方ないし、老朽化した建物は災害リスクが大きい。営業が続けられるだけ御の字ではあるが、空間がたたえた時間と蓄積は帰ってこない。そして仕方ないとはいえ、4年前の自分の逡巡と決断を思い出し、少し後悔した。あとは帰宅するだけといった夕方のタイミングであったので、祈るような気持ちで入店し、その後夕食を控えているのにケーキとコーヒーのセットを贖罪の気持ちでお願いした。そんなわたしの気持ちを知ってか知らずか、ケーキの食後にはそっと小さなチョコレートが差し出された。

 

そして、2023年である。

なぜか金沢八景は夕方に訪れることが多い。

幸浦あたりの団地をうろうろして、夕方にシーサイドラインに乗った。普通に新杉田に帰るのも癪だなと思って、反対方向の電車に乗って金沢八景に流れ着いた。

ほぼ7年ぶりの金沢八景は、完全に様変わりしていた。

再開発は完全に終了し、仮設駅であったはずのシーサイドライン京急の駅の真横まで伸びていた。シーサイドラインの直下には立派なバスターミナルが整備され、京急の駅も橋上化されてかなり立体的な都市へと変貌していた。

…そういえば三本コーヒーショップは。

どうなったのだろう。

 

エスカレーターを乗りついでようやく地上に降り立つ。仮設店舗は当然のことながら姿を消している。駅近くを軽く歩き回ってみたが、三本コーヒーショップはついに見つけられなかった。

変わりにと言ってはなんだが、シーサイドラインの駅横に立派なガラス張りの「ベーカリーハウス アオキ」が目に入った。1Fでパンを販売していて、2Fがカフェになっている。そこに落ち着くことにした。

席からは地上を出入りする路線バス、少し顔を上げれば頭上には駅を出入りするシーサイドラインの車両が目に入る。乗り物好きには意外と飽きない空間である。

アイスコーヒーと一緒に1Fで買ったパンをちびちびと食べながら、金沢八景というまちと自分とカフェとの縁に思いをはせていた。

カフェのあるまちはいくらでもある。カフェに入りたくなる瞬間にどこかの駅前にいることだって当然ある。でも、それにしたって、金沢八景でわたしは喫茶店やカフェがいつも目に留まり、入ったり入らなかったりする。疲れ果てた夕方にたどり着くことが多いからかもしれない。でも、それにしたって多い。

2Fの三本コーヒーショップの窓からは、おそらく駅の改札口から吐き出された多くの人々を眺めることができただろう。それが、いまはベーカリーの2Fから、行き交うバスやシーサイドラインを眺めている。10年で大きく様変わりしたようで、微妙に変わっていないような、不思議な感覚がよぎった。

この記事を書いていて、ふと思って2012年の写真をもう一度よく見返してみた。そして仮設店舗が写っている2016年の写真も。するとやはりあった。2012年の写真にはいまと同じ店のマーク、2016年にははっきりと見える「アオキベーカリー」の文字。

パン屋さんは建物の建て替えを経つつ、昔のまま営業を続けているようだった。様変わりしたようで、実はそこまで変わっていなかったのかもしれない。建物は建て替わっているようなので、当時からカフェがあったのかは分からないが、三本コーヒーショップが担っていた役割を、ほぼ同じ場所で商売を続けてきたアオキベーカリーがいま引き継いでいるということを考えると、なんだか少し面白くなってくる。

外見は大きく変わったけれど、まちで暮らし、営む人々の気持ちや思いは変わらないのかもしれない。少なくとも今のうちは。将来は分からないけれど。

 

そして、この記事を書くにあたって、三本コーヒーショップの行方を調べたら、金沢文庫へ移転していることが分かった。

場所が大きく変わったとはいえ、まだ営業は続けていることには安堵した。わたしにとってなんでもないと言えばそれまでだが、なぜかとても印象に残るお店だから、今度金沢文庫に降り立った時は少し覗いてみようと思う。

 

縁もゆかりもないのに、なぜか夕方にたどり着いて、なぜか喫茶店で休憩したくなる。金沢八景はわたしにとって謎の引力を持ち続けている。

 

 

 

旧店舗時代の内部がわかるはまれぽさんの貴重な記事。はまれぽさんはぜんぶある(断言)

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