2019年6月25日訪問
何処かに似ている表情のピースが、何処でもない"高槻"を創り出す
高槻は、大阪市北摂地域のまち。京阪間のほぼ中間地点に位置し、JR東海道線の「高槻駅」と数百メートル南を並行して走る阪急京都線の「高槻市駅」を中心に繁華街が広がる。
高槻市の南口は私鉄駅前らしく雑然、混沌、狭隘。
「おしゃれで上品」なイメージの阪急だが、拠点駅の駅前でこうした雑然とした雰囲気を見せられると逆に安心する。阪急もちゃんと「私鉄」なのだ。
人をかき分けるように商店街に入り、狭い駅前を脱出していく京阪バス。
高槻市駅の高架下は「ミング阪急高槻」というショッピングモールになっている。阪急らしいマダム向けの雰囲気。
北側に抜けてきました。
南口よりは若干余裕のあるつくり。
JR高槻駅との間は東西に商店街が何本か形成されている。
JRと阪急間の移動には東西に400~500m、南北に100mほど移動する必要があり、そのため2駅間の繁華街はグリッド状の街路に面的な広がりをみせる。
高槻のやよい軒。
何本かある東西軸のうちの1本は「高槻センター街」としてアーケード化されている。
センター街から北方向(JR高槻駅方面)を見る。市街地がグリッド状なのでどこにでもまんべんなく人がいる。
1枚前の写真から一本西側の路地。JR高槻駅南口のデッキへとつながる路地で、やはり人が多い。
高槻センター街の西側の出口。
左(北)へ進むと高槻駅の南口ターミナルとなる。
松坂屋高槻店は1979年の開業。JRの高槻駅南口は「高槻市駅」とは対極的に立派な交通ターミナルの上に再開発ビルに接続する歩行者デッキが張り巡らされている。
その様子は柏か大宮か。どことなく関東チックな雰囲気がある。
でも1970年代に駅前ターミナルを再開発ビルで囲んじゃうやり方は大阪っぽいんだよな……と思いながら撮った写真。
高槻はタワマンのまちでもある。
高槻駅北口は南口ほど土地の余裕はない。
ただ再開発はしっかり行われており、狭い交通ターミナルを挟んで平和堂アル・プラザの入る再開発ビル「アクトアモーレ」が迫る。
西武百貨店高槻店は、関東資本の西武百貨店の関西進出1号店として1971年に開業した店舗。訪問時(2019年6月)のあと9月末をもって閉店し、現在は「高槻阪急」となっている。
現在高槻駅前にある商業施設の中では最も古く、高槻が現在のような大型商業施設が複数立地するような郊外拠点となるきっかけを作った施設といえそう。
大型商業施設に塗りつぶされたような思える北口だが、微妙に「塗り残し」がある。
当局は塗り残しがちょっと気になってしまうらしく、先般の地区は立ち退きの憂き目にあうらしい。
「アクトアモーレ」の裏側(北側)は「アクトモール」という商店街になっており、そのまま西側に歩くと「芥川商店街」というアーケードへとつながる。
実はこのアーケードを抜けた先が、西国街道の宿場町という高槻の隠れた起源を残す「芥川一里塚」がある地区なのだが、日没と闘っている当時のわたしは知る由もなく駅へと引き返した。かなしい。
高槻は、その「関東っぽさ」から、よく首都圏の郊外拠点のまちに例えられたり、比較されることが多い。
でも、アーケードが栄えていたり、古い再開発ビルでターミナルを囲ってみたり、駅前に「じゃんぼ総本店」があったり……「関西っぽさ」もちゃっかりのぞかせる。
一つ一つのまちなみのピースは「どこかで見たようなもの」だけど、その組み合わせや位置関係は唯一無二の「高槻」だ。
何処かに似ている表情のピースが、何処でもない高槻の表情を創り出している。
画一化・没個性と言われがちな現代のまちなみから、わたしはそんな「パズルのような楽しさ」を見出している。日本のまちなみは、まだまだ楽しい。