SHORAKUSHA

終わりがないフィルムのように続く、ある風景の備忘録

バス会社が描く、みらい。-みらい長崎ココウォーク

 

○○モールとか、○○SCとか、もう飽きましたね。

 

長崎駅から歩いて20分。もう浦上の手前というところで。
久しぶりに、惹かれる商業施設に出会いました。

 

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天気悪い…

みらい長崎ココウォーク

「長崎」を先頭に持ってきたい誘惑を押さえて、「みらい」を先頭に持ってきたのがすごい。「みらい」で満足しないで「ココ」なんて絶妙なさじ加減の2文字を突っ込んでくるのもズルい。最後は安パイの「ウォーク」で締めてくるのもズルい。「長崎」の置き方もズルい。ココとは「コミュニティ」「コミュニケーション」を意味するのだそう。

×:長崎みらいウォーク
×:みらいウォーク長崎
×:長崎ココみらいウォーク
◎:みらい長崎ココウォーク

あまたあるかっこよさそうな名称(適当にわたしが考えた)を潜り抜けて、この正解にたどり着くセンス。

観覧車まである。訪問まで鹿児島のイメージにつられて、この観覧車は長崎駅前のアミュプラザのものだと思っていた。

 

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ロゴまでかっこいい

おまけに三井でも住商でもイオンでもイズミでもヨーカドーでもなく、長崎自動車長崎バス)がやってるというじゃないですか。もともとバスの営業所があって、そこの再開発で作った商業施設。だから1Fにバスセンターが併設されているという。

中身も頑張っている。決して高級店を置けるモールではないけれど、モールのことをよく勉強したのだなと思う箇所がいくつもある。イオンモールのような使いやすい力加減がある。

聞けば観覧車も、むかし長崎バスが運営していた遊園地の記憶を引き継ぐというコンセプトで設置されているのだそう。ゲーセンには長崎バスのカットモデルが置いてあったりもして(撮り忘れた)、ディティールが凝っている。

みらい長崎ココウォークの開業に際して、日本経済新聞のインタビューには「企業のエゴで市民の憩いの場であった遊園地を閉園してしまったこと」に対する市民からの批判と反省が社長によって語られている。強い決意と覚悟に立脚した商業施設なのだろう。

 

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1Fの茂里町バスセンター。土地の記憶を伝える施設だけれど、バスセンターとしての意義は若干微妙…

1970年代から再開発の話があったというから、長崎バスにとっても企業を挙げての一大事業だったのだろう。その結果、しかと見届けたり。立派でかっこいい、ええモールでした。

 

訪問日:2017年2月20日

 

みらい長崎ココウォーク

住所:長崎県長崎市茂里町1-55

店舗面積:27,446㎡

営業時間:10:00~21:00(一部23:00まで)

駐車場台数:905台

本屋さん:宮脇書店長崎店(1Fバスターミナルに併設してある不思議立地。まぁでも宮脇は宮脇ですな)

略史:1970年代    長崎バス茂里町営業所再開発構想

   2008年10月 みらい長崎ココウォークグランドオープン(バスターミナルは1週間前より稼働)

 

start up! TSUDANUMA-津田沼パルコ

【2017年1月31日追記】

2017年1月31日付で、B館地下にある西友津田沼パルコ店は閉店となりました。改装もなされず、時間が止まったような売場で。駅からのアクセスも微妙に悪く……厳しい戦いだったと思いますが、お疲れさまでした。

 

戦いの引き金を引いたのは誰か。

 

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津田沼という市はない。

所在の市よりも駅名の方が有名になってしまったという稀有なパターンである津田沼津田沼は「あぁせやな津田沼」となるが、習志野市と言われると「どこにあるでせう?」ってなるのだから、駅名というのは偉大である。(厳密に言うと船橋市との市境にある)

 

商業畑の人間には有名な「津田沼戦争」。鄙びた乗換駅であった津田沼に、1970年代にイトーヨーカドーダイエー高島屋、長崎屋が立て続けに出店し、とつぜん津田沼が戦火の渦に包まれることとなったという過酷熾烈至極大変な戦争である。

その戦争のトリガーとなり、津田沼という「都市」を「造り」、そして「変えてしまった」のが、「西武津田沼ショッピングセンター」である。

 

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いちいち洒落ている

1977年にA館がパルコ、奥にあるB館が西友として開業したが、熾烈な戦争下でGMSでは立ち行かなくなったのかいまでは2館ともパルコ。西友はB1Fで食品専業になり細々と営業が続いている。

西友はオールドスタイルの店舗で、パルコのモードに比べだいぶ見劣りがする印象。がんばれ。

 

戦争を生き抜いたのはいまやイトーヨーカドーと西武津田沼ショッピングセンターのみ。2000年代になりイオンモール津田沼モリシア津田沼、奏の杜フォレオなどができたが、津田沼の知名度と街の力をぐんと上げたという意味で、西武津田沼ショッピングセンターが果たした役割は大きい。

 

津田沼はここからはじまった。いまやすっかり「普通のパルコ」となったが、それは自らが育てた津田沼という街の成熟を見守る余裕が出てきたからなのかもしれない。

 

訪問日:2016年11月4日

 

【西武津田沼ショッピングセンター(津田沼パルコ・西友津田沼パルコ店)】

住所:千葉県船橋市前原西2-18-1

店舗面積:21,121㎡

営業時間:10:00~21:00

駐車場台数:116台(他提携あり)

本屋さん:ACADEMIA津田沼店(くまざわからの転換。アカデミア感弱い普通のくまざわ)

略史:1977年8月   津田沼パルコ、西友津田沼店として開業

   1985年11月 西友が「津田沼レッツ店」(インショップ主体の複合業態)に転換

   1997年頃? 津田沼レッツをパルコに委譲し、パルコ2館体制に(地下の食品のみ西友存続)

 

ハトの風ふく、あなたの習志野にも。-イトーヨーカドー東習志野店

お店の存在意義とはどこにあるのだろう。

 

京成線八千代台駅から徒歩20分。なんてことない住宅地と工業団地の切れ目にふと、たたずむ。

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夕暮れでアンニュイ。

イトーヨーカドー習志野店は、1994年の開業。冒頭の通りとても変な場所で営業しており(そもそも東習志野ってどこ?となる)、南北と西を工場に囲まれている。

さらにマクロな視点で見れば、北側に陸上自衛隊習志野練習場がデデンと横たわっていて、北方面からのアクセスは八千代台駅辺りまで回り込むことになる。ヘンな立地である。

傾斜地に立っており、そのまま歩いていくと2Fに吸い込まれる。2Fエントランスの真下へと降りていく階段を降りると1Fエントランス。変なつくり。

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変わった構造のエントランス

建物はことのほか立派で、これまた立派な立体駐車場が完備されている。やはりクルマ来店前提の店舗である。

入口周辺には駐輪スペースがある。足元人口が多い店舗の多いヨーカドーでは、自転車の数が一定のバロメターになる気がする。東習志野は数えられるくらいしか止まっておらず。

店内は非常に寂しいものであった。ヨーカドーには珍しく空き区画が放置されていたり、子供のプレイスペースに人っ子一人いなかったり、この「人のいなさ」はなかなかヨーカドーでは見ない。かつてはファミールなどもあったようだが閉店し、壁でふさがれている。食品レジも2~3台しか空いておらず。ただ1Fのフードコートには閑散としつつも、少し人がいてほっとする。

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巨大な立体駐車場もなかなかに寂しい

この店舗、ヨーカドー側より施設所有者に賃貸借契約の解約申し入れが飛んでいる物件である。まだ正式発表はなされていないが、解約日となった2017年6月には閉店してしまいそうな勢いである。

そもそも開業当初より津田沼店や志津店(閉店)、長沼店(これもまた閉店している)との自社競合の立地だと話題になったうえでの出店であったようだ。実際東習志野店開業後、津田沼店の売り上げがガクンと落ちたとか。

衣料品の不振が明らかになってきた1994年時点でも「商圏は点でなく面で考える(から重なっても気にしない)」なんて言っていたようだが、そんな余裕は早晩無くなり、周囲に立て続けに中規模程度のモールが林立するようになれば、東方面以外をすべて工場に囲まれた立地では厳しくなろう。

どうでもいいがダイエーハイパーマートを出しそうな立地であるな…

 

ドミナント戦略として作られた東習志野店。長沼店、臼井店など、似たような理由で郊外に作られた店舗たちが軒並み閉店に追い込まれる中、よくここまで持ったものだった。

「置き駒」にも、地域の暮らしを支える矜持はあったことだろう。恵まれない環境と戦いながら、彼は自らの幕引きの可能性に何を思うか。

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ハトの隊列

 

訪問日:2016年8月26日

 

イトーヨーカドー習志野店(サンヴェルショッピングプラザ)】

住所:千葉県習志野市習志野7-3-1

延床面積:27,100㎡

営業時間:10:00~21:00

駐車場台数:929台(開業時は1300台となっていたので一部閉鎖している?)

本屋さん:ときわ書房IY東習志野店(お店の人の手作り感がよい)

略史:1994年12月 イトーヨーカドー習志野店開業

   2016年6月   施設の賃貸借契約の解約を施設所有者に通知

   2017年6月   賃貸借契約の解約予定日(=閉店?)

遠い異国の、シーブリーズ感じて。-検見川浜ベイサイドモールフェリア(イズミヤ検見川浜店)

【2017年1月31日追記】

記事中でもちょろっと話していたイズミヤ検見川浜店の閉店が正式に決まりました。2017年5月中旬とのことです。「しんがり」は何を遺してくれるか。

 

撤退戦の最後尾で敵の追撃を阻止する部隊のことを、古く「しんがり」と呼んだ―

 

遮るものの少ない、人工的にのびのびとした景色を眺め、京葉線で東京から30分、検見川浜に降りる。

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検見川浜ベイサイドモールフェリアは千葉市美浜区京葉線検見川浜駅前にある。「海浜ニュータウン」という知名度が弱すぎるニュータウンの一角を形成するエリアで、周囲は様々な団地の見本市と化している。のっぺりした埋め立て地に重厚長大を具現化したような団地がドコスコ立っている姿は味わい部い。もはやソビエトロシア。

 

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イズミヤのマークもフェリアのマークもドヤ顔で正面にペタペタ貼ってある

核店舗はGMSイズミヤ検見川浜店。プラスしていくつかの専門店が入っているが、ほぼ売り場が同化していて、お客さんにしてみればすべてイズミヤの店舗のように見えていよう。

イズミヤとは、関東の人間には聞きなれない名前だが、イズミヤは関西で展開しているGMSなのだ。なぜか千葉のニュータウンの駅前商業ビルに、唐突に核店舗としてしれっと収まっているからフシギである。ジャスコもヨーカドーも、当時はマイカルやダイエーすらもあったろうに、地元側のチョイスセンスもあなどれないものがある。

どうもバブル期、関東進出を本格的にもくろんでいた時期があったようで、検見川浜店はその残滓なのだ。首都圏3店舗目の店舗として1991年11月に開業。まさにバブルの申し子である。

そのほかにも、板橋、八千代、牛久、小山、東大宮(!)、江戸崎(!!)などその出店地のチョイスはなかなかのセンスだが、やはり知名度の所為か、関東での事業はあまりうまくいかず、少しずつ閉鎖が続いていた。ここ2~3年の事業整理(つまりは関東での野望をついにあきらめたということである)で関東からの撤退戦を仕掛けており、板橋、八千代、小山の店舗がこの2年ほどでたて続けに閉鎖している。いまや関東の店舗は牛久と検見川浜のみになってしまい、牛久も閉鎖方針が決定されているので、検見川浜店は関東撤退戦最後の「しんがり」となろう。

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入口のコテコテなイズミヤマークにみえる関西イズム。出身が隠せてないのもご愛嬌。

地域適応の精神というのは大事で、検見川浜店に入ってみると、途端に衣服商品のセンスが関西っぽいとか、どん兵衛が関西だしだとかそんなことは当然なく、実に「ふつうのGMS」に徹している。逆説的に言えば、このお店はイオンでもヨーカドーでもさして変わらなかったということにはなるが…いずれにしても、地元の人にとっては、「イズミヤは検見川浜のスーパー」であって、決して「イズミヤは大阪のスーパーチェーンです」といったお題目は必要ないのだ。

ただ一つ。レジで年配の方が使っていたSTACIAカード。おそらくイズミヤで作った阪急系のハウスカードだが(イズミヤは紆余曲折あってH2Oリテイリング傘下なのである)、、、検見川浜店がいつかなくなり、関東からイズミヤが撤退したのち、あのカードは遠い関西の地でしかほぼメリットを享受できないカードになってしまう。ご老人のSTACIAなカードはどうなってしまうのかと要らぬ心配をする。

 

遠い異国からやってきたイズミヤ。もはや余命宣告を待つのみの検見川浜店だが、当時は「黒船」のイズミヤも、検見川浜の人々にとっては「日常」の一部となっていよう。普段使いがイズミヤ、STACIAカードを持つご老人…検見川浜だけが関西のようだ。

もはや出自は関係ない。検見川浜のためのGMSになる。生まれの地、関西のイズムを捨て、そんな決意を感じるのだ。

 

訪問日:2016年11月4日

 

【検見川浜ベイサイドモールフェリア(イズミヤ検見川浜店)】

住所:千葉県千葉市美浜区真砂4-2-6

延床面積:30,000㎡(イズミヤ売場面積9,600㎡、専門店4,600㎡)

営業時間:10:00~21:00(食品などは9:00~23:00)

駐車場台数:300台

本屋さん:くまざわ書店フェリア店(専門店。ふつうの90年代くまざわ)

略史:1991年11月 イズミヤ検見川浜店を核として開業

お見せしましょう。文化の日の出を。-イオンモール日の出

東京にだってイオンモールはある。

これはむしろ地方の方々が驚かれるのではないかと思う。安心してほしい。東京にもイオンモールはある。どうか安心してほしい。我々はイオンのある同じ星の下で暮らしている。

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細かい造作を見るとなかなかに「遊んでいる」モールである

イオンモール日の出は、東京都西多摩郡日の出町というところにある。そもそも日の出町はどこか?という問題が大多数の方々の頭には浮かぶだろう。日の出町は東京の西郊にある、非常に説明のしづらい町である。よくわからない人は青梅とか八王子とかがある辺りと思えばいい。あきる野市に半分埋もれるようにある町だが、ごみの最終処分場という七面倒な役割を引き受けてくれている町であるので、都民にとっては足を向けて寝られる町ではない。

 

そもそものイオンモール日の出もほぼあきる野市という立地で、感覚的には「イオンモールあきる野」とでも名付けられてしまいそうな勢いである。それでもみんな「日の出のイオンモール」って呼んでくれるので、日の出町の知名度向上の観点からも、名前というものは絶大なのだ。

開業は2007年。商圏は自動車30分圏で40万人の人口を想定しているらしい。だいたい西多摩地区と八王子市北部といったところだろうか。ただ奥多摩からくるかは非常にアヤシイ(谷違いで行きづらい)。

規模はふつうのイオンモールだが、施設の構造がよくある「く」の字型ではなく、真っ直ぐなので逆に小さく見える不思議。わたしはすっかり規模小さめのイオンモールだと思っていたが、数字を拾ってみると商業施設面積だけでも73,447㎡もあるらしい(これはイオンモールのなかでも中の上くらいである)。おそるべし。

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マイカルの息吹を感じる独特の角処理。このRは間違いなくフェティシズムのそれである。

核店舗は「イオン日の出店」だが、開業時はイオン傘下に入ったのちのマイカルによる「日の出サティ」であった。これがイオンモール日の出最大の特徴であろう。よく見てみると、ジャスコ→イオンには見られない、細かい空間の遊びや温かさと少しばかりの雑然さが売り場にはある。ただその温かさが売り場のダサさに繋がるのがマイカルのご愛嬌であったが、当時のイオンの理性的な空間設計が少しミックスされて、日の出サティは非常に居心地がいい売り場になった。この路線でマイカルが存続してほしかったなあと思うばかり。

建物を眺めてみると、気になる「角のR」が見える。出店時はすでにイオンの傘下にあったが、ここにもマイカルの矜持を感じる部分である。このRはイオンには出せない。

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正面にはバスターミナルがあり、秋川、武蔵五日市、福生、河辺からバスが来る。そういえば一時期八王子から遠路はるばるやってくる「レジャー・ショッピングライナー」もあったが「ライナー」のくせに時間がかかりすぎて大減便になっている。

このモール、非常に慎ましさがある。よくあるイオンモールはジャンキー(?)なテナントを並べて「どうだこれが東京だわたしが教えてやるぞ」みたいな、おせっかいな鬱陶しさがあったりするものだが、不思議とイオンモール日の出にはそれが感じられない。準核テナントの一つである未来屋書店も大きく非常に堅実なしつらえ(しかし気持ちの良い空間である)で、スタバを隣接させブックカフェ感で少しだけ洒落る。かと思えばスタバの逆サイドにはTSUTAYAが入っていて、とても「分かっている」。土日におめかししていかなくても大丈夫。しかしなかなか、チープじゃない。なかなかないところに、このモールは着地している。

きっと文化が溢れる大都会東京では(いくら西多摩の日の出町とはいえ)ある意味東京の「あたりまえ」を改めてケイモウしても仕方ないのだ。「○○市初出店!」な文化を暴力的に持ち込むのではなくて、その土地の文化を照らし、すこしだけアップグレードする…そんな縁の下的な慎ましさと温かさが、このモールにはある。

モールの開業は、文化の日の出であった。

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      初々しささえ感じるこのやさしさ、忘れないでほしい(最近あまり見ない)

 

訪問日:2016年11月3日

 

イオンモール日の出】

住所:東京都西多摩郡日の出町大字平井字三吉野桜木237-3(長い)

延床面積:124,626㎡(うち商業施設面積73,447㎡)

営業時間:9:00~22:00(イオン日の出店。モール専門店街は21時まで。食品は23時まで)

駐車場台数:3,650台

本屋さん:未来屋書店日の出店(専門店街。通路広く棚の流れは若干わかりにくいが過ごしやすい)

略史:2007年11月 日の出サティを核として開業

   2011年3月   (株)マイカルがイオンリテール(株)と合併し日の出サティは「イオン日の出店」に

八王子に現れた「東京チェルシーテラス」-ガレリア・ユギ(イトーヨーカドー南大沢店)

 

-生活上質ヶ丘東京チェルシーテラス(柚木そごう1992年開業時ストアコンセプト)

 

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新宿から電車で40分。トンネルをいくつか超えた先の多摩ニュータウン京王相模原線の南大沢駅前にあるイトーヨーカドー南大沢店。

わたしの商業施設趣味の原点のひとつであり、非常に思い入れの深い施設である。語りだすと長くなるので語らない。

正面から見上げてみれば、壁のような存在感がある。ワンフロアもそれなりの規模で5層。この規模感のイトーヨーカドーは意外と少ない。お店は結構にぎわっていて、同じく駅前にあるアウトレットモール「三井アウトレットパーク多摩南大沢」のおかげで、広域の集客の恩恵にあずかっていそうである。

 

いまとなっては一介のイトーヨーカドーだけれど、数奇の歴史をたどってきた店舗でもある。もともとはダイエー南大沢店、さらにさかのぼると柚木そごうと忠実屋フランツ南大沢店として1992年に開業した店舗なのである。

この箱を折半して入居していたようで、おまけに当時は正面のガラス張りの部分が中にくりぬく様に開口しており、上から見るとコの字型の建物で、正面右側にそごう、左側に忠実屋が入居していた(増築が完璧でイメージがつかない)。店内を歩いていると、吹き抜け部に向かい合うようにしてエレベータが両サイドに設置されていて、これは確かに1つの施設として作られたつくりではない。そごう側のエレベータはキンピカのそごう仕様が残されており一見の価値がある。ヨーカドーの売り場とのミスマッチを楽しみたい。

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この部分は増築なんだとかで…言われないと分からない完璧な仕事

冒頭の一文は柚木そごうにつけられたストアコンセプトだそうで、口走るだけでなんだか恥ずかしい。特に「生活上質ヶ丘」のあたり。八王子は東京なのかどうかも危ぶまれる昨今、ロンドンの高級住宅地「チェルシー」まで持ち出せる当時の余裕たるや、うらやましい。

バブリーで羽振りーのいい話だが、1992年というと南大沢はまだ土ぼこり舞う開発途上。肝心のバブリーもはじけ、そごうは東2駅隣に多摩そごう、同じ市内には八王子そごう、西2駅隣の橋本にも出店の話を取り付けていたから、明らかにオーバーストアで、2年というそごう史上最短営業期間の不名誉とともに1994年に柚木そごうが撤退。

相棒であったスーパー「忠実屋フランツ」も1994年にダイエーに買収となり、ダイエー南大沢店となるも、こちらもサッパリだったようで翌年には撤退。しばらく廃墟ビル然としていたそう。

いまのイトーヨーカドーは1998年開業。このころにはようやく足元人口が伸びてきて、以後現在まで続く。

 

高貴な生まれも、不遇の人生で没落した貴族のようだ。彼は庶民派にはなったけれど、そういう人生もまたアリだと。そんな声がする。

 

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今や地域の顔になったが、南大沢の地にそごうがあったことなど、住民のどれだけが知っているだろうか。

 

訪問日:2016年10月31日(他多数)

 

【ガレリア・ユギ(イトーヨーカドー南大沢店)】

所在地:東京都八王子市南大沢2-28-1

延床面積:42,000㎡

基本営業時間:10:00~22:00

駐車場台数:741台

本屋さん:文教堂書店南大沢店(専門店街。アニメガというアニメショップ併設)

略史:1992年6月 柚木そごう・忠実屋フランツ南大沢店を核とし開業

   1994年3月 忠実屋がダイエーと合併し「ダイエー南大沢店(店番:0597)」に

   1994年10月  柚木そごうが閉店

   1995年2月 ダイエー南大沢店が閉店。専門店街のみ存続。

   1998年2月 イトーヨーカドー南大沢店(店番:186)開業

オープニング

このブログは、かぜみなが訪ね歩いてきた商業施設を、個人的主観のもとぺたぺたと写真と感想を貼り付けていく場です。

 

いままで見たまま、撮ったままで終わっていた商業施設をより大切に捉え、記録することで自らの蓄えとなればいいなあという期待と、それを体系的に紹介するというのも、また意味のあることなのかなと思いがあり、始めてみようと思います。

 

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以後、よろしくお願いいたします。

 

問うに落ちぬが、書くに落ちる。この場でならウッカリした素直な感想も許されるかな。とそんな期待がこの珍妙なブログ名には込められていたりします。ぜひ今後もご愛顧くださいませ。

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さあ、新しい物語をはじめましょう。