SHORAKUSHA

終わりがないフィルムのように続く、ある風景の備忘録

start up! TSUDANUMA-津田沼パルコ

【2017年1月31日追記】

2017年1月31日付で、B館地下にある西友津田沼パルコ店は閉店となりました。改装もなされず、時間が止まったような売場で。駅からのアクセスも微妙に悪く……厳しい戦いだったと思いますが、お疲れさまでした。

 

戦いの引き金を引いたのは誰か。

 

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津田沼という市はない。

所在の市よりも駅名の方が有名になってしまったという稀有なパターンである津田沼津田沼は「あぁせやな津田沼」となるが、習志野市と言われると「どこにあるでせう?」ってなるのだから、駅名というのは偉大である。(厳密に言うと船橋市との市境にある)

 

商業畑の人間には有名な「津田沼戦争」。鄙びた乗換駅であった津田沼に、1970年代にイトーヨーカドーダイエー高島屋、長崎屋が立て続けに出店し、とつぜん津田沼が戦火の渦に包まれることとなったという過酷熾烈至極大変な戦争である。

その戦争のトリガーとなり、津田沼という「都市」を「造り」、そして「変えてしまった」のが、「西武津田沼ショッピングセンター」である。

 

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いちいち洒落ている

1977年にA館がパルコ、奥にあるB館が西友として開業したが、熾烈な戦争下でGMSでは立ち行かなくなったのかいまでは2館ともパルコ。西友はB1Fで食品専業になり細々と営業が続いている。

西友はオールドスタイルの店舗で、パルコのモードに比べだいぶ見劣りがする印象。がんばれ。

 

戦争を生き抜いたのはいまやイトーヨーカドーと西武津田沼ショッピングセンターのみ。2000年代になりイオンモール津田沼モリシア津田沼、奏の杜フォレオなどができたが、津田沼の知名度と街の力をぐんと上げたという意味で、西武津田沼ショッピングセンターが果たした役割は大きい。

 

津田沼はここからはじまった。いまやすっかり「普通のパルコ」となったが、それは自らが育てた津田沼という街の成熟を見守る余裕が出てきたからなのかもしれない。

 

訪問日:2016年11月4日

 

【西武津田沼ショッピングセンター(津田沼パルコ・西友津田沼パルコ店)】

住所:千葉県船橋市前原西2-18-1

店舗面積:21,121㎡

営業時間:10:00~21:00

駐車場台数:116台(他提携あり)

本屋さん:ACADEMIA津田沼店(くまざわからの転換。アカデミア感弱い普通のくまざわ)

略史:1977年8月   津田沼パルコ、西友津田沼店として開業

   1985年11月 西友が「津田沼レッツ店」(インショップ主体の複合業態)に転換

   1997年頃? 津田沼レッツをパルコに委譲し、パルコ2館体制に(地下の食品のみ西友存続)